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評価方法

最近、ブログの更新をちょっとサボってました。ブログを書くモチベーションって、私の場合は「怒り」が大きなウェイトを占めるのですが、Twitterでちょこちょこ毒抜きしてしまうと、ブログを書くに至るまでのパワーが溜まりきらないというか・・・。

さて、今回はそんなTwitterで少し書いたことをまとめたい衝動に駆られて書いたものです。要約を書きますと、

政治家は、本当に世の中がよくなるかどうかで評価されると感じておらず、新しい法律を作ったことで評価されるのではないか?

という意見がことの発端です。これに対して、私は

目に見えるものを評価する、という構造を是正するしかないのかな?殆どの人が対外評価じゃなくて社内評価が基準になってますから、評価をどうにかしないとダメでしょう。ま、難しいけど。予防策って評価し辛いですからね。問題が起きた後の規制とか懲罰って形に表れるものは評価し易い。(原文)

と書きました。まぁ、この文で言いたいことはだいたいまとめられてるのですが、自分のためにももう少しまとめておこうと思い、今回のエントリを上げた次第です。

こういうのって面白いもので、なぜか色んなところで似たような議論が起きてたりするんですよね。いつもお世話になっている多面体さんのブログで、警察に対するエントリがあがっており、少し通ずるところがあるのかな?と感じました。(視点は全然違うんですが、内容には考えさせられることが沢山ありました。まだの方はぜひ。)

 

私の考えを書く前に、私にとってのバイブルになりつつある「ブラック・スワン」に面白い内容があるので、一部抜粋したいと思います。少し長くなりますが・・・

あるところに、勇気と力と知性とヴィジョンと根気を兼ね備えた政治家がいて、2001年9月10日に法律をつくり、即座に全面的に施行したとしよう。この法律によると、飛行機の操縦席には防弾ドアをつけて、ずっと鍵をかけておかないといけない(業績不振の航空会社には大きな負担だ)。テロリストが飛行機で、ニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んだりする万が一を防ぐためである。

(中略)

航空会社の職員には喜ばれない政策だ。彼らの生活がややこしくなるからである。でも、間違いなく9・11は防げただろう。

操縦席のドアの鍵を閉めさせたその人の銅像が広場に立ったりすることはないし、お葬式の死亡記事でも「9・11のテロを防いだジョー・スミス、肝臓病の合併症で亡くなる」なんて書いてもらえることはない。彼の政策が行き過ぎで、資源の無駄遣いだと思った人達が、航空会社のパイロットの助けを借りて、彼を引きずり下ろすかもしれない。

(中略)

事件の後に賞賛されたのは誰だっただろう?マスコミに出てきたり、テレビで英雄みたいに振る舞っていたりした連中、英雄的なことをやったフリをしていた連中は誰だったっけ?

(中略)

報われるのはどっちだろう、不況を未然に防いだ中央銀行総裁がろうか、それとも前任者の間違いを「正す」べく就任して、たまたま景気回復に行き当たった中央銀行総裁だろうか?価値があるのはどちらだろう、戦争を防ぐ政治家だろうか、新しく戦争を始め(て運良く価値を収め)る政治家だろうか?

(中略)

治療より予防のほうがいいのは誰でも知っている。でも、予防のために何かをして高く評価されることはあまりない。

とある。評価方法についての本ではないので、じゃあ、これをどう評価すべきだったかは書いていないのですが、こういう視点で予防と治療について整理して考えたことはなかったので、かなり衝撃を受けました。いや、読むと当たり前なのですが、なぜ、予防に力(資金)を注がないのかという問題は、個々人の能力や姿勢といった話では決してなく、それどころか組織としての考え方ということですらないということに気付かされました。

私もこの本を読むまでは、「なぜ予防に力を入れないんだ」「ことが起こった後の法整備ばかりに焦点が行くんだ」と憤っていました。でも、これらの問題の一番難しいところであり、キモとなるのは、多分「予防の評価は難しい」というところにあるのだと思うようになったのです。

 

何で組織は「予防」に重点を置いた評価方法を導入しないのか、というと、「定量的な評価」ができないからだと思います。一般企業に勤めるサラリーマンはもちろん、政治家や警察といった公務員も「社内」で評価されることで給料が増え、待遇が良くなっていきます。これは組織を維持する上では仕方のないことだ思います。簡単に言うと「がんばった人、成果を上げた人は評価することで社員のモチベーションを上げましょう」ということ。で、「頑張った」とか「成果を上げた」ということをどうやって評価するのかが問題になるのですが、全員が1フロアにいるような小さな会社ならまだしも、大きな組織になると、例えば同期だったり後輩だったりがどのような仕事をしているかっていうことは分からなくなってしまいます。そうすると同期より評価が劣っていた場合に、何が劣っているのかが全く見えず、不満ばかりが募ってしまうことになります。これは組織としては絶対に避けたいので、どうしても「定量的」な評価が必要になるんです。

では、「予防」についてはどうか?9・11の例でも分かるように、「予防したことによって起こらなかったことの効果」を明確にすることは非常に難しい。予防しなくても起こらなかったかも知れないし、予防によって(極端ですが)人類全滅を防いだことになったのかもしれない。効果を最大化して評価してしまうと、ありもしないことに対して好き勝手なことを始める人が出てしまうし、最小化するとやっぱり予防なんて誰もやりたがらない。これは非常に難しい問題です。

 

政治家は完全に公人ですし、警察も税金から給料が払われている訳ですから、「国民のためを考えて、自分の評価なんて気にするな」という意見もあるでしょうし、それに反対という訳でもないのですが、その人自身の生活もありますし、意欲を持って取り組んでもらうためには「対価」が必要だとも思うのです。政治家や警察の仕事を「ボランティア」にしてしまったら恒久的に国を守ることはできなくなってしまいますから。

もちろん、政治家や警察官のやっていることが全て「だから仕方がない」なんてことは決してないですし、個々人の問題もあるのは間違いないと思うのですが、根本的、抜本的なところを変えない限りは、焼け石に水という感じがするのです。

 

どこかにこういう「評価方法」について研究している人はいるのかな?ぜひ意見を聞いてみたいので、もう少し調べてみようと思います。

 

最後に、私は「政治家や警察官の1つ1つの言動について問責することに意味がない」とは決して思っていません。むしろ、そういう1つ1つを地道に糾弾することは絶対に必要だと思います。でもそれだけでは変わらないものもあるのでは?と思うだけです。実際に活動されている方を心から応援しますし、決して否定するつもりはないこと、分かっていただければ幸いです。

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